2013年06月10日

正邪

 ショーウインドーを割った!――子どもたちが、町一番のケーキ屋さんに、身に覚えのない罪を着せられました。自分たちをばかにする、分からず屋の大人たちに、子どもたちは敢然と戦いを挑みました。武器は学校新聞――。児童文学『チョコレート戦争』(大石真・作、北田卓史・絵、理論社)の内容です。
 学校新聞を読んだ町中の子どもたちは、“自分のことのように”腹を立てました。大好きな店のケーキを我慢してボイコットしていく場面は、ほほ笑ましくも、痛快です。「正義」の感覚は、子どもたちのほうが敏感なのかもしれません。
 かつて、歴史家のトインビー博士は、善悪・正邪がはっきりしている問題に関して、中立を保つことは不可能であり、正しくないと指摘しました。それは、中立がかえって悪にくみすることになる、と(『21世紀への対話』)
 しかし、もっと言えば、善悪・正邪があいまいな時にこそ、はっきりと悪・邪を指摘することが、欠かせないのではなかろうか。仏法では、人間を苦しめる者を、叱り責め(呵責)、追い払い(駈遣)、その罪を一つ一つ糾明し処分する(挙処)ことの大切さを説いています。  

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2013年06月09日

おじさん・おばさん

 海野弘氏の『おじさん・おばさん論』(幻戯書房)は、世界の歴史と文学作品に見られる「おじ・おば」と「甥・姪」の関係を点描した快作です。
 親子の情愛を「垂直」、友情や恋愛を「水平」とすれば、おじさん・おばさんは、子どもにとって、「斜め」の関係を結ぶ存在としています。そしておじさん・おばさんは、「外の世界との交流のはじまり」であり、「彼らは他者への、世界への案内者」なのだ、と海野氏は言っています。さらに「現代における他者への想像力の貧しさは、おじ・おばの不在と関連しているのではないだろうか」と言及しています。
 核家族化が進んだ現在では、血縁のおじ・おばと接する機会は少ないのが普通です。代わって問われるのは、「近所のおじさん・おばさん」が、子らの成長に関われるか否かでしょう。  

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2013年06月08日

人生万般に通じる真理

 「偉大なる芸術家とは」との問いに、フランスの作家アンドレ・ジッドは言いました。"難渋することによって鼓舞され、あらゆる障害を踏切台に用いる人間のことである"と。このジッドが、例として挙げた逸話が興味深いので紹介します。
 ミケランジェロの代表作の一つ「モーセ像」の窮屈に座る姿は、「大理石が足りなかった」おかげで考え出されたという言い伝えである(『芸術論』河上徹太郎訳、第一書房。現代表記に改めた)。像は教皇の墓碑を飾るものとして依頼されたが、完成までの道は、墓碑計画の縮小、次の教皇による無理難題な別の仕事の押しつけなど、苦闘の連続だった。"障害こそが、芸術家の創造力を引き出すバネとなった"と。ジッドの芸術論には、人生万般に通じる真理が含まれています。  

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2013年06月07日

苦に徹してこそ

 青森が生んだ「板画家」棟方志功は、“道を開く”苦労の生涯でした。小学校の図画では、手本に似せて描かないために満足な成績をもらえず、後年、画家を志し、挑んだ「帝展」では落選続き。その後、版画に進みますが、納豆売りをしてしのいだ日々もあったそうです。
 「ほんとうのものは大抵はいたましい中から生れる」。棟方志功は、陶芸家の河井寛次郎から贈られた言葉を作品に残した。苦に徹してこそ、本物が生まれ、磨かれていく――その揺るがぬ信念を自身の生命にも彫り込んだ人生は、誇り高い輝きを放っています。  

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2013年06月06日

教育道

 兵庫教育大学元学長の上寺久雄氏が語る「教育道」とは。教師が知識を伝授するだけでは、子どもは成長しない。教師の成長いかんで子どもは変わる。教育にとって大切な「道」――それは、教師と生徒が「共に」成長する方向へ歩むことだと、氏は力を込めて主張します。だから、「教育」の本質は「共育」であるともいえる、と。  

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2013年06月05日

外国青年による津軽弁大会

 明治以降の標準語教育の中で、長らく東北弁は〝田舎者〟の代名詞のように扱われてきました。しかしこの10年来、東北各地では、岩手県気仙地方 の『ケセン語大辞典』の編纂、山形県三川町が開いてきた全国方言大会など、豊かな歴史と文化の象徴として、方言を見直す動きが進んでいます。
 青森県鶴田町では今月、恒例の〝外国青年による津軽弁大会〟が開かれます。「負げでたまっか!」「負げてらんね!」「負げねえべ!」――それぞれの人、それぞれの土地で聞く短い一言の中に、家族、地域と共に歩んできた人生の重み、断じて未来を開いてみせるという決意の深さ が、ずしりと伝わってきます。
外国青年による津軽弁大会 http://www.aptinet.jp/Detail_display_00003392.html  

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2013年06月04日

夢を抱きしめ

〝サッカー界の英雄〟といえばだれもがメッシ選手をあげることでしょう。だが彼の思春期は、成長ホルモンの異常疾患で、低身長に悩む日々だったそうです。
 しかし、彼は〝プロのサッカー選手に〟との夢を抱きしめ、家族と共にアルゼン チンからスペインへ渡ったのは13歳の時でした。懸命な治療とトレーニングで、小柄ながらも一瞬で相手を抜き去るスピードと技術を磨き、世界のトップ選手へと成長を続けてきました。
 「最も大切なことは、眼前の人生にいかなる労苦があろうと『決してくじけない』ということ」と語ったのは、膝のけがなど、何度も逆境を乗り越え、バロンドール(世界年間最優秀選手賞)に輝いたロベルト・バッジョ氏です。  

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2013年06月03日

勇気の挑戦

 願いが叶ったら、どんなに嬉しい事でしょう。そんな感動を綴った物語があります。ルイス・セプルベダの『カモメに飛ぶことを教えた猫』(河野万里子訳)です。
 猫の前に舞い降りてきた瀕死のカモメ。自分が産む卵を孵し、育てて飛べるようにしてほしいと猫に託します。猫が仲間の動物たちと、生まれた子カモメに飛ぶことを教えるために奔走する話です。
 カモメが飛んだ時、親代わりの猫は語る。「飛ぶことができるのは、心の底からそうしたいと願った者が、全力で挑戦したときだけだ」。飛び方を教えるのも、もちろん大切なことです。だが本当に必要なのは、揺るがぬ決意と勇気の挑戦――それは、私たちの人生にもあてはまります。

カモメに飛ぶことを教えた猫 
http://loplos.mo-blog.jp/kaburaki/2011/06/post_5c25.html  

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2013年06月02日

衣替え

 衣替えのシーズンを迎え、下ろしたての夏服を着用して通勤・通学の途につく姿が目にまぶしい季節です。
 衣替えは「更衣」とも書くそうです。かつて宮中の行事として、旧暦4月1日から夏装束に、10月1日から冬装束にと替えていた風習が民間にも普及したものです。明治時代になって会社や学校の制服を、6月1日から夏服に、10月1日から冬服に改めるようになりました。
 “衣替えは心替え”――季節の変わり目を自身の生き方を見直す契機として、決意も新たに「わが挑戦の歴史」をつづりゆきたいものです。  

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2013年06月01日

世界記憶遺産

 ユネスコが登録する「遺産」には「世界遺産」「無形文化遺産」「世界記憶遺産」の3種類があります。このうち、文書や楽譜などの「世界記憶遺産」には「ベートーベンの交響曲第九番直筆楽譜」「アンネの日記」「マグナカルタ」などが並んでいます。
 このリストに日本の文献も登録されています。当初、「源氏物語絵巻」などが予想されたましたが、選ばれたのは、九州の元炭鉱労働者で、炭鉱の仲間たちを描いた故・山本作兵衛さんの原画と日記でした。
 山本さんは幼いころから炭鉱で働いていました。暴力を受け、奴隷のように働かされる職場。ガス・炭塵爆発で死んでゆく仲間。しかし、日本を支えているという誇りがありました。貧しいが助け合って生きる炭住(炭鉱住宅)の生活。これらが生き生きと描かれています。その庶民群像が、海外で高く評価され選出されたのです。  

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